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2009年4月17日 (金)
「澁」という字にすごくドラマを感じます。次々押し寄せてくる大量の水を、一人もしくは大勢で、必死で止めようとしているイメージです。これからもし、頭の中の土手が決壊して、水が溢れ出して混乱しそうになったとき、僕は頭の中で「シブ!」と叫んで、あらゆる隙間からすり抜けようとする水を必死で抑えて混乱を沈めようと思います。
多分1年以上前の話だけど、その日池袋を歩いていたら、20センチくらいの黄色い鳥が地面に立っていました。生まれて初めて見る鳥でした。すぐ近くまで行ってみましたがそいつは微動だにせず、じっと空の方を見つめていました。そばにしゃがんでも逃げません。変な鳥だなあと思ってじっと見つめていると、だんだん怖くなってきました。鳥は立ったままピクリとも動かず、なんだか生きているとは思えない目をしてました。何かを深く考えて、その結果ある恐ろしい事に気付いてしまったような目をしてました。なんでこんな目をしているんだろう。自分の子供がカラスか何かに食べられたのか、巣が木から落ちてしまったのか、いろいろ考えましたが、その鳥の目線の先にはただ空があるだけです。目の前で手を振ってみてもまったく反応しません。でも、自分の足で立っているんだから確かに生きてる…。こっち向いたらどうしようと思ったら怖くなってきて、その場を去りましたが、未だに鳥の顔はしっかり覚えています。元気かなあ。
ひび割れた我が家から潮の香りがする。波が寄せて、引いて、というのはもしかしたら時間の不確実性。一寸先は闇。つねに一寸先は闇。何故にそうなる!?未来は案外わからない。何が吉と出るか分からない。なんて世界だ。
その手のひらに刻まれている何本もの筋の何本かに、神秘のバラが宿っている。秘密のオアシスがどこかにある。僕だけの場所がこの筋のどこかにある。リン。リン。世の人の狭い世界。君たちのその頭の中の、ミジンコが住むにちょうどいい程度の狭い世界に、まわりの心ない人間によって爆弾が落とされ、あなたの街が粉々に吹き飛ばされてしまったとしても、そんな事が、はたしてあなた以外の誰の脳内世界と関係がある。人間はそんなに不寛容な生き物ではないはず。
あたらしいあさ
いのちのいぶき
うつくしいうみべ
えがくえんぴつ
おとことおんな
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2009年4月14日 (火)
2009年4月11日 (土)
脳内活字全集第1巻P923より
まず、立ち上がってください。そして、一歩前に踏み出してください。右足でも左足でも構いません。君はたったいま、足を一歩前に進めた結果の、今のその景色が見えています。ではその、10歩先ではなにが見えるでしょうか?100歩先は?100万歩先は?100000000000000億光年先は?君が居るその部屋の天井に1つだけついている電球が放つ光が赤から青、黄、緑、白、黒、再び青、と変わっていったときに、君の心の中に磁石のように付きまとう、己の将来像に関する二次元的な考察は全く意味を成さないように思います。そんな無駄な努力をするよりも、左斜め下とか、右斜め下とかに目を向けて、狡猾な茨のごとく、泡にまみれた蟹のごとく、鏡を見ることを止め、人生についてあれこれ他愛もない思索をめぐらすのを止め、イカサマのような恋愛を止め、君のその場所から100000000000000億光年の彼方にある牝牛の瞳に映った広大な田園風景を眼前に出現せしめるべきだ。なにより、我らの人生、生きることそのものは苦であるとさえ言われる、気の毒な人生よ!幾千の星の瞬きを見ることもなく、シベリア狼の満月への咆哮を見ることもなく、ただただ死んだ魚の群のような喧騒の中で、自らの生涯を閉じ、あの世にのみ快楽を求めるというようなことを、君はしたいと思うのか。右手の人差し指から、腕を伝い、心臓を通って、左手の人差し指へとつながっている赤い糸。左手の人差し指と右手の人差し指を合わせることさえできれば!僕たちはいったいどうしてこの世の波を超えていく術を見出すことができるだろう。アルファベットと、電話機と、こめかみにときどき起こる鈍痛は、やがて君たちの頭から伸びる数本の透明な糸をすべて煩悩の統制という巨大なハサミ、悪魔のような、吐き気を催すほど下心に溢れた思想を味方につけ、いずれすべて切り落としてしまうかのようにさえ思えるのだ。さあ僕は何からはじめればいい?
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2009年4月 5日 (日)
雪虫や己の命の短しを知ってか知らずかもがき歩む
北海道の夜は、まるで宇宙からのインスタレーションでした。星空と雪と地平線と山と森。そして小学校の灯り。星が瞬いてたなあ。どこをみても、空を意識せざるを得ないあの広さ!そしてあの寒さ!あれは死ぬ寒さだ。3月であれだもんなあ。次はもっと寒い時期に行きたい。そしてダイヤモンドダストを見る!0℃とマイナスとじゃ体感温度が違うことを実感しました。
沖縄は居るだけで心が開けてきて、とても良い気持ちになれた!
プライマルの「country girl」を聴きながら夜の那覇を歩いた時の開放感といったら!上を見ながら歩いていると、まるで夜空をなぞっているような!今でもはっきりと思い出せる!風景が脳みそに焼き付いて、いつでも頭の中の写真を見られる!その時の温度、湿度、まわりの音も、まだ覚えてる!一瞬で全てを説明できる!
エイボーさんが「さとし!お前もうちなんちゅだからな!うちなんちゅの血が半分入ってるんだからな!」と言ってくれたあの心意気!かっこよすぎる。沖縄に骨を埋めるのも楽しそうだなあ。いとこのマーキーやらアーヤやらさくらやらがもうすげー美人になってて一緒に居るだけでドキドキした。神田家の女性はみんな美人で人懐っこくて素敵だ。おじいとおばあも格好良い!おじい三線ありがとう!東京案内する約束をしたぞ
僕ら家族を親戚が30人も集まって、おじいおばあの長寿を祝った。おじいとおばあの二人の血がこうして繋がってこんなに素晴らしい交流が生まれて、みんなで笑い合える事は、本当に貴重で大事に守っていかなきゃならん!父も白髪が増えてきた。僕もそろそろお返しをする番だ。もちろん母にも。祖先の方々、全ての縁起の人、全ての景色、全ての音にも。ありがとうを示さないと
沖縄には「シーミー」という行事がある。ご先祖さまのお墓の前にブルーシートを広げて、親戚を大勢(多くて100人くらいいる)呼んで、お墓の前で宴会する超素敵な行事!死んだ人も一緒にしちゃううちなんちゅ!なんて寛大な、なんて涙が出る心意気だろう。
死はいつもすぐとなりで息をひそめている。それは後ろ向きな事ではないのかもしれない。
もーりーが言っていた「他人ってだけでスゲエんだよ!」という言葉を、沖縄で何回も思い出した。僕の想像も及ばないような視点で、ものを見ている人がいる。今の僕には到底理解できないような格好良さに憧れて、一生を捧げてしまうような人がいる。あんな離島にも、人の生活がある。まだまだ知らない事がある。というか今ほとんど知らない!できれば世界中の人の方法で生活をしたい。世界中の人の視点からものを見てみたい。考えてみたい!その一つ一つは、ほんのささいな違いかもしれない。でもその小さな差異から、無限とも思える通りの思考が生まれてくる。それはお互いに理解できたりできなかったりするけど、とにかくほんの数センチ違うだけで、多分世界がちがう。
だから東京に帰ってきて最初は「やっぱりここはなんだか冷たい街だなあ。みんな厚着してマスクして、ちょっと異常じゃない!?」と思ったけどすぐ「ほんの小さな工夫で、ここも沖縄のような寛大さをもった街になりうる」という手応えがあった。確かに感じた!
沖縄はまたゆっくりいこう
せっかく地球人として生まれてきたんだから
「夏はインドネシアが一番だけど、冬はロシアに限るなあ」
とか言いたい!
☆いつかこの僕たちの生きる時代も、僕たちが江戸時代の風俗画を見るような目で、どこかで見られる日がくるのだ!歴史は現在進行形で、考現学すなわち考古学。刹那滅。刹那滅。
☆「オタク」とか「いいかげん」て書いてあるTシャツとか、「自虐ネタ」とか、「I Love 〜」とか、いっぱいある。そんなに”自分”って大事だろうか。
☆古くなってしまった自動券売機のディスプレイ「ただいまカードは使えません」と表示されている
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